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馬上の楽園
地上の楽園は馬の背にあり。-コーラン

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DATE: 2013/05/31(金)   CATEGORY: ひとりごと
雨上がり
DSC_1357.jpg

雨上がりにパシャ、パシャ、パシャ、と
ぼーちゃんが水溜りの上を歩く音を聞いていたら

師匠の下で土砂降りの中
練習していた日々がフラッシュバックした

もうかれこれ十数年
あのころはよく乗っていたなぁ

本当に、よく乗っていた

師匠の怒鳴り声が
かき消されて聞こえないほどの土砂降りの中でも
ひたすら乗っていた

馬たち
よく辛抱してくれたなぁ

馬上で泣いた日もあったっけ

いろんなことがあったけど

あの頃があって、今がある
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DATE: 2010/02/15(月)   CATEGORY: ひとりごと
プロ意識
今日は少し難しい話(たぶん)。

夫は象徴学研究家兼講師、わたしはウェブ制作兼デザイナー。
でも実は、わたしも夫もクライアントから依頼された仕事を果たすことに加え、自分たちの後に続く「プロを育成する」という仕事も同時におこなっている。

わたしも夫もどこかと契約することもなく完全自営でやっていて、それには不利な点も多いが、それでも昨今の不況の影響か、「自分の手でお金を稼げるようになりたい」「腕一本で食べられるようになりたい」といって、プロとして自立することを目指しわたしたちのもとで学ぶ人たちが増えた。

20台の若者もいれば、経験豊富な中堅サラリーマン、仕事と平行して大学院に通っている人もいる。その人たちの多くは「プロとして自営でやっていくノウハウ」とか「将来仕事をもらえそうなツテ」を得たいわけだが、わたしたちはいつも、「自営でやっていきたいのなら、ノウハウやコネではなく、なによりプロ意識を持って」とお話している。

お金がもらえるようになったらプロ、と勘違いしている人があまりに多い。
あるいは、それなりの仕事をしてお客さんに喜んでもらえれば、もう安泰、評価されている、と安易に考える人も、これまたたくさんいる。苦情を言う人や咎める人がいないのだから、自分はいい仕事をしているのだ、と思ってしまう。

でもそれは違う。

プロの仕事は、どれだけお金になるか、お客さんが喜んでいるかどうか、仕事の技術が高いかどうか、で判断されるものではないと、わたしたちは常日頃感じているし、自分たちが育てている生徒さんたちにも教えてきた。

お金にならない仕事でも、高いプロ意識を持った人は、一流の仕事をする。
親戚のおじちゃんからの依頼でも、一世一代の大仕事でも、取り組む姿勢はまったく同じ、誠心誠意最善を尽くしたものである。

相手が喜ぶかどうかで仕事のよしあし、でき不出来を判断したりもしない。仮に相手が見る目のない客だとして、その相手が単純に喜ぶようなことをすることが、いつでも「いい仕事」をしていると言えるとは限らない。

こういうことを言うと、「お客さんに喜ばれてナンボではないのですか」と言う人もいる。

相手を喜ばせたいと思うことが悪いと言っているのではない。けれどそれが「第一目標」では、プロとは言えないのだ。

お客が期待していることは、それ自体が間違った期待かもしれない。お客さん自身にとって、将来的によくない影響を及ぼすことかもしれない。

その相手にそのまま喜んでもらうことを考えていたのでは、結局、自分が本意でないことをするハメになったり、余計な妥協をしたり、仕事の質そのものを落とすことにつながり、もしその結末がダイレクトに現れれば、酷い場合は「あいつに頼んだらこんな酷い目にあった」と評判を落とすことにもなりかねない。

相手が間違った期待や間違った結果を「よい」と思い込んでいるならば、正しい状態、最善の結果、良質の仕事というのはどういうものかを、まずお客に教えることから始めるのがプロである。お客に「最高のサービス」とはどういうものかを教え、お客の目を曇らせているウロコを落とし、その目を肥やす、それができてこそプロといえる。それを拒絶し、「とにかく客の言うとおりにやってちょうだい」なんていうお客の仕事は、断ったほうがいっそいい。



お金をもらっても所詮アマチュアな人もいれば、無償で仕事を果たすプロもいる。

その違いは、「プロ意識」、日本的に言い換えれば「職人気質」をもって仕事をしているかどうかだと思う。

そんなことをいつも生徒さんたちに繰り返し話しているものだから、わたしたちは誰かに仕事を依頼するときも、その人の仕事のでき不出来よりも、仕事に対する姿勢、誠実さ、意識のほうに目が行ってしまう。

それがガス屋さんでも、役場の保健婦でも、宅配便のお兄さんでも。

こんなことを書いたのは、まさに今日、仕事を依頼したある人に「プロ意識」の認識の部分で切々と訴えたことがあったからだ。

のんびりした田舎の農業地帯、馴れ合いやつきあいでも十分仕事ができる地域で、「プロ意識」を問うのは酷だろうか。

本当の「仕事」とは、その人の分身であり、生き方であり、学びの場であり、余暇でもあり娯楽でもあり、そしてその人そのものであると思う。だから、たった数時間、数千円の仕事を頼む相手であっても、それが大事な人間であると思えばなおのこと、ないがしろにはできなくなる。

その人が理解してくれることを願う。

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DATE: 2009/09/17(木)   CATEGORY: ひとりごと
命を救うということと、人の価値観を変えるということ
わたしは、犬猫の保護や救助に人生の大半を費やしてきた。
一般に、犬や猫を保護する、救助するといえばつまり、捨て犬や捨て猫、行政で処分される運命にある犬猫を助けるということで、わたしの場合はそれに、完全野良化した猫の保護や不妊手術後とリリースも加わってきた。(といっても、完全野良ももともとは捨てられた子がいたからなんだけど)

しかし、どの場合も、結局は、「捨てる人、見て見ぬふりをする人」の尻拭い的行為といってしまえばそれまでだ。もちろん、捨てられた犬猫の身になれば、それが他の人の尻拭いになろうが濡れ衣だろうが、わたしが助けなかったら死んでしまう犬猫を助けるのは「当たり前のこと」だ。

でも、「目の前」から視点を移して「社会全体、世の中全体、犬猫全体」を見れば、捨てられたり処分されそうな犬猫を拾って保護して養うだけでは、いつまでたってもイタチゴッコだ。捨てる人は何度でも捨てる。捨てる人の子供もおそらく捨てるだろう。心ある人間がどれだけ犬猫を保護しても、捨てられる子達が減らなければ、結局何も変わらない。

つまり、本当の意味で犬猫を救う、犠牲になる命をなくすためには、「捨てない」「処分しない」世の中にしなくてはいけない。そしてそのためには、世の中の人ひとりひとりの価値観を変えることが必要不可欠になる。

今で言えば、たとえば犬猫は法律上は、靴やバッグなどと同じ「物」扱いである。命ではなく、物。子供を殺されたら殺人だけど、ペットを殺されても器物損壊。

法律だけじゃない。ペットを飼っている(飼いたいと思っている)多くの人にとってさえ、犬や猫は事実上は「物」同然だ。

責任感も覚悟もないまま衝動買いをする。
血統(ブランドみたいなものか)でよしあしを決める。
ショーウィンドーに並べられた子犬や子猫を見て楽しむ。

行政では1分に1匹の犬猫が殺処分されているとも言われています。そして、とくに犬の場合は、保健所などで殺される数の大半が、「飼い主による持ち込み」です。飼い主が、「もういらない、飼えないから殺して」と持ってくるんです。その理由が、「別の犬を飼いたいから」ということも少なくないらしい。

わたしたち夫婦がよく言うのは、人間の子は親に捨てられても生きていけるけど、犬猫は捨てられたら生きていけない、ということ。

子供が道端で迷子になっても、のたれ死ぬまで周囲が見て見ぬふりをするということはないけれど、犬猫はのたれ死ぬか交通事故死か殺処分。多くの人に取ったら、犬も猫も馬も、動物はその程度の価値。

その動物たちの命を救おうと思ったら、世の中のすべての人、動物に直接関わる人はもちろん、関わらない人も、その人たちの価値観を変えていかなくてはいけない。

犬も猫も、馬も牛も豚も、動物は「物」じゃない。
人間の子供にはしないことを、動物には平気でできるというのは、人間としておかしい。と。

一部の人が破産のリスクを犯しながら「引き取る、保護する」だけではダメなのだ。



…こういうことは、他にも、同じような活動をしてきた人たちが言っている。
けれど、実は、それはものすごく難しい。
はっきり言って不可能に近いのだ。


わたしは犬猫の保護をずっとやってきて、つくづくそう思う。
他の人の価値観なんて、そう簡単には変えられない。
人間は、悪いほうに変わるのはけっこう早いけど、よいほうに、正しいほうに、変わるのは、容易でない。変わらないだけならまだしも、逆にこちらが非難されたり変人扱いされたり、あるいは都合よく利用されて陰で笑われることのほうが多く、でも、それに甘んじて屈辱的な扱いも我慢できるようでないと、実際は犬猫の命を助けることはできない。


競馬、競走馬に関して言えば、馬はお金。お金になるかどうか、損か得かが大半の人の決断を左右する。

お金が基準になっている人に、命だ云々…と説いたところでほぼ間違いなく「馬の耳に念仏」だ。

イエス・キリストは「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」と言ったそうだが、実際にお金持ちかどうかではなく、「お金がすべてになっている人」にとっては、神様に受け入れてもらえるような「よい心」を持つことは難しい、ということなのだろう。

だから、そういう、「とどのつまりは金」と考えている人たち、金で動く人たちが作り上げたシステムを変えていくのは、正面から正攻法でぶつかってもまず無理だと思う。

それを変えるには、「その人たちの価値観で」、同じ土俵で相撲を取らなくてはだめだ。


ではどうするか…続きはまた後日えへ





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