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馬上の楽園
地上の楽園は馬の背にあり。-コーラン

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DATE: 2009/06/04(木)   CATEGORY: 競馬
今日もまた
ひそかに見守っていたある競走馬が、先月末のレースを最後に廃馬になったことを知りました。
4歳になったばかりの若さでした。

プロジェクトが本格的に軌道に乗るまで、お願いだから待っていて、なんとか命をつないで…と祈る思いでいましたが、間に合いませんでした。

この子も、先週、今週と廃馬になった、何百頭の一頭。

犬も、猫も、馬も…
いつになったら、こんな思いをしなくてよくなるのだろう。。。
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DATE: 2009/05/12(火)   CATEGORY: 競馬
「デビューすらできなかった」競走馬
競走馬にとって、「デビューすらできなかった」、この言葉がいったい何を意味するのか、分かりますか。


わたしが引き取ったジークフリート(ゼット)は、まさにその「デビューすらできなかった」何千頭の馬たちの一頭だった。デビューすらできなかったということは、つまり、馬たちの中でもまっさきに、そして、もっとも若くして殺される、ということだ。

「デビューすらできなかった」たかが一頭を、なんとか生かしたい、生きてくれ、と必死になる厩務員や調教師の気持ちが分かりますか。


ゼットは爪の故障で引退となりましたが、実はその後、数々の人の努力で、爪は回復したのです。関係者はなんとか生き延びてもらおうと、競馬へのカムバックを頼み込んだのですが、断られたのです。それはなぜか?


「一度競走馬を登録抹消したのを取り消しにするのは、建て前上できないから」


こんな人間の建て前ひとつで、競走馬の命は奪われて、肥やしにされて、畑にまかれて終わる。

奇跡にめぐまれず潰されていった他の何千何万の馬、助けてやれなかった他の命を思うと、ゼットを前にして「お前は助かったね、よかったよかった」と喜ぶ気にはなれない。


「馬が好き」と言いながら、その好きな「馬」が置かれている悲惨な現状を「仕方ないのだ」と最初からさじを投げ、「牛や豚よりはまだ幸せ」と割り切ってそれ以上考えようともしない人は多い。自分のその矛盾、偽善に気づいているのか?

あなたは本当に馬が「好き」なのか?と疑問に思う。
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DATE: 2009/05/10(日)   CATEGORY: 競馬
「競馬を廃止すればいい」という考え
以前も書いたように、競走馬のほとんどはいずれ殺されてしまう。

その事実に対して、「なんとかしなくては」と思うのは、当然わたしだけじゃなくて、たとえば愛護団体だったり、あるいは個人だったり、いろいろな人がこうしたら、ああしたら、と考えてはいる(のだと思う)。

でもその中には結構、「現実を無視した極端な理想論」を振りかざす人もいて、たとえばこの記事のタイトルのように「競馬を廃止すればいい!」という考え方がそうだ。

そもそも競馬がなければ、殺されたり事故で死ぬ馬はいなかった、それは事実。でも、だからといって「殺される馬を減らすには競馬を廃止すればいい」というのは、現実を無視した浅はかな考え方といわざるをえない。

なぜかというと、たくさんの人と、そして馬たちが、今、「競馬産業という大きな車輪」に乗って命をつないでいるからだ。

たとえば生産牧場。
たとえば調教師、厩務員、
装蹄師や獣医師。
たとえば競馬場で働く人、
JRAなど競馬関連団体で働く人。
競馬場の周辺で飲食業を営む人。

そして、今現在も走り続ける馬たちに加え、
競馬で活躍するべく産み落とされた子馬たちと、
その父母である種馬、繁殖牝馬たち。

ずっと昔に回り始めた「競馬産業という大きな車輪」が、今現在もこれだけのたくさんの命を乗せて回転を続けている以上、もし何か致命的な欠陥があると分かったからといってその車輪を急激に停止させてしまったら、上に乗って車輪と一緒に回っている多くの命が一瞬にして放り出されてしまうことになる。

多くの人がたちまち仕事を失い、そして今現在走っている馬たちに加えて、デビュー前のトレーニング中の馬たち、まだ牧場にいる子馬たちやその父母である馬たちまでもが、行き場を失って新たな「処分対象」になってしまう。



たとえいずれこの「大きな車輪」を、何らかの理由で止めることが必要になることが仮にあるとしても、後先を考えない「廃止」は、後先を考えずにスタートしてしまった競馬そのものと同等の大きな犠牲を生みだすことになる。

だから、安易に、簡単に、「だったら競馬を廃止すれば?」と言ってのけるのは、人に対しても馬に対しても、ものすごく無責任で、ものすごく短絡的なことだ。

ひとたび回り始めた大きな車輪を止めることは、もっとずっとずっと難しく、繊細で、注意が必要な問題なのだ。

「だったら競馬を廃止すればいいじゃない」と言うことで、多くの人は「それ以外のもっと現実的な方法」を考えることから逃げているようにわたしには見える。
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