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お疲れさま、息吹
長らく更新あいてしまって、ご心配おかけしています。
実は、先月4月の中旬に、息吹が亡くなりました。
きっかけは、以前から長く患っていた左前肢の腫瘍だったのですが、最後は、獣医さんの言葉を借りれば、「内臓年齢というものがあるとして、それでいえば老衰」とのことでした。
まだ15歳だったのですが…
3月頃から、この腫瘍を気にして、なんとなく調子が優れないでいたのですが、でもこれは、季節の変わり目にはいつものことだったので、気候が安定すればまた調子も戻るだろうと思っていました。
4月になって横になることが多くなり、雨続きの4月8日の夜、飼い付けの時間なのに起き上がってきませんでした。
何度か叱咤激励して立つように促しましたが「うるさいな~寝てたいんだから放っておいてよ」とばかりに起き上がることを拒否。その晩は様子を見ることにしたのですが翌朝、同じ場所で休んでいました。
ひどくもがいたりした跡はなかったものの、さすがに一晩動かないのはおかしいので獣医さんに連絡し、それから連日、診察してもらいましたが、肢の腫瘍も今まででは一番小さくきれいな状態でしたし、他にこれといって具合の悪いところもなく、点滴と抗生剤の投与のみ、食事はいつもどおり食べていましたが、結局起き上がろうとしないまま徐々に体が弱り、2日後には完全に寝た状態になってしまいました。
そして、そのさらに2日後(起き上がらなくなってから丸4日後)の早朝に、静かに息を引き取りました。
午前中に来てくださった主治医の先生が、冷たくなった息吹の肢をさすりながら、
「せっかくこんなにきれいになってきたのに……でもいろいろ大変だったもんな……お疲れさま、だな」
と声をかけてくださいました。
3歳で繁殖入りしてから、バランスの悪い食生活に加え、毎年毎年繁殖で子馬を産まされ、腫瘍のための投薬などもたくさんしたりて、もう内臓はボロボロだっただろうと。
息吹を以前から知る別の先生も、肥満で死産や難産もあったし、大変な思いをしてきたと思う、と言っておられました。
わたしが引き取る直前の夏なども、前オーナーが放置していたせいで当の腫瘍が腐ってしまい、大量のウジがわいて、目も当てられない状態だったそうで、アンヌがおなかの中にいたとはいえやむを得ず、まる1ヶ月、毎日抗生剤を打っていたそうです。
わたしが初めて息吹と対面したときには、メロン大に真っ赤に膨れ上がり、ハエがたかって異臭を放っていた腫瘍も、毎日洗って清潔を心がけ、夏はハエ除けを塗って、栄養のある食事を取る、たったそれだけで、女性の握りこぶしほどに、本当に小さくなっていたのです。
飾り毛に隠れて見えないくらい小さかったので、以前から息吹を知るばん馬関係者さんたちには、「治った!」と勘違いされるくらいだったのです。
もう少しリハビリを頑張ったら、きっと走れるようにもなる、今まで人間のために酷使されてきた分を、これから取り戻すんだよ、これから、悠々自適な馬生を生きるんだよ、と、わたしは本当にそれしか考えていなくて、まさか息吹の寿命がこんなに短く間近に迫っていただなんて、それこそ夢にも思っていなかったです。
それでも、“老衰”のおかげか、苦しんだり痛がったりもがいたりは一切なく、最後は息吹は、すべて分かっていたかのように、本当に静かに、安らかに逝きました。
獣医さんたちとなんとか起き上がらせようとしたときは、息吹は怒って本当に抵抗して、でもそれ以外は静かに周りを眺めながら横になっていて、鼻先でアンヌが食事するのをただじっと見ていました。
ふかふかの堆肥ベッドの上だったことと、もがいたり暴れたりがなかったことで、体重1tで丸4日横になっていたにも関わらず、床ずれも傷もなく、キレイなままの息吹でした(泥だらけにはなったけど)。
自然死ということすら、めったに許されないのが今の馬たちだから、そういう意味では幸せだったかもと、思うようにしていますが、正直、なかなか気持ちの整理もつかず、ブログやツイッターに向かう気持ちにもなれず、1ヵ月半ちかくたってしまいました。そのせいで、皆さんにご心配おかけしてしまいました。ごめんなさい。
そして、息吹をもっと長生きさせてあげたかったのに、してやれず、本当に申し訳ありません。
息吹のいない景色にはだいぶ慣れてはきたものの、やっぱりまだ、息吹の写真を目にすると、頭が真っ白になってしまいます。
いろんな意味で、息吹の存在はわたしにとって大きすぎました。
心配して、メールや電話、お手紙をくださった皆さん、黙って見守っていてくださった皆さん、そして息吹のために、連日賢明に力を尽くしてくださった獣医師の先生方、本当にありがとうございました。この場を借りて、改めて、感謝申し上げます。

(C)paradisacheval 4月1日のツーショット。

(C)paradisacheval 調子を崩す直前までずっと、夕方の飼い付け時刻が近づくとこうして玄関までお迎えに来て、待っていてくれた息吹。
息吹、お疲れさまね。
きっと生まれて初めて、「もう頑張りたくない」って言えたんだよね。
実は、先月4月の中旬に、息吹が亡くなりました。
きっかけは、以前から長く患っていた左前肢の腫瘍だったのですが、最後は、獣医さんの言葉を借りれば、「内臓年齢というものがあるとして、それでいえば老衰」とのことでした。
まだ15歳だったのですが…
3月頃から、この腫瘍を気にして、なんとなく調子が優れないでいたのですが、でもこれは、季節の変わり目にはいつものことだったので、気候が安定すればまた調子も戻るだろうと思っていました。
4月になって横になることが多くなり、雨続きの4月8日の夜、飼い付けの時間なのに起き上がってきませんでした。
何度か叱咤激励して立つように促しましたが「うるさいな~寝てたいんだから放っておいてよ」とばかりに起き上がることを拒否。その晩は様子を見ることにしたのですが翌朝、同じ場所で休んでいました。
ひどくもがいたりした跡はなかったものの、さすがに一晩動かないのはおかしいので獣医さんに連絡し、それから連日、診察してもらいましたが、肢の腫瘍も今まででは一番小さくきれいな状態でしたし、他にこれといって具合の悪いところもなく、点滴と抗生剤の投与のみ、食事はいつもどおり食べていましたが、結局起き上がろうとしないまま徐々に体が弱り、2日後には完全に寝た状態になってしまいました。
そして、そのさらに2日後(起き上がらなくなってから丸4日後)の早朝に、静かに息を引き取りました。
午前中に来てくださった主治医の先生が、冷たくなった息吹の肢をさすりながら、
「せっかくこんなにきれいになってきたのに……でもいろいろ大変だったもんな……お疲れさま、だな」
と声をかけてくださいました。
3歳で繁殖入りしてから、バランスの悪い食生活に加え、毎年毎年繁殖で子馬を産まされ、腫瘍のための投薬などもたくさんしたりて、もう内臓はボロボロだっただろうと。
息吹を以前から知る別の先生も、肥満で死産や難産もあったし、大変な思いをしてきたと思う、と言っておられました。
わたしが引き取る直前の夏なども、前オーナーが放置していたせいで当の腫瘍が腐ってしまい、大量のウジがわいて、目も当てられない状態だったそうで、アンヌがおなかの中にいたとはいえやむを得ず、まる1ヶ月、毎日抗生剤を打っていたそうです。
わたしが初めて息吹と対面したときには、メロン大に真っ赤に膨れ上がり、ハエがたかって異臭を放っていた腫瘍も、毎日洗って清潔を心がけ、夏はハエ除けを塗って、栄養のある食事を取る、たったそれだけで、女性の握りこぶしほどに、本当に小さくなっていたのです。
飾り毛に隠れて見えないくらい小さかったので、以前から息吹を知るばん馬関係者さんたちには、「治った!」と勘違いされるくらいだったのです。
もう少しリハビリを頑張ったら、きっと走れるようにもなる、今まで人間のために酷使されてきた分を、これから取り戻すんだよ、これから、悠々自適な馬生を生きるんだよ、と、わたしは本当にそれしか考えていなくて、まさか息吹の寿命がこんなに短く間近に迫っていただなんて、それこそ夢にも思っていなかったです。
それでも、“老衰”のおかげか、苦しんだり痛がったりもがいたりは一切なく、最後は息吹は、すべて分かっていたかのように、本当に静かに、安らかに逝きました。
獣医さんたちとなんとか起き上がらせようとしたときは、息吹は怒って本当に抵抗して、でもそれ以外は静かに周りを眺めながら横になっていて、鼻先でアンヌが食事するのをただじっと見ていました。
ふかふかの堆肥ベッドの上だったことと、もがいたり暴れたりがなかったことで、体重1tで丸4日横になっていたにも関わらず、床ずれも傷もなく、キレイなままの息吹でした(泥だらけにはなったけど)。
自然死ということすら、めったに許されないのが今の馬たちだから、そういう意味では幸せだったかもと、思うようにしていますが、正直、なかなか気持ちの整理もつかず、ブログやツイッターに向かう気持ちにもなれず、1ヵ月半ちかくたってしまいました。そのせいで、皆さんにご心配おかけしてしまいました。ごめんなさい。
そして、息吹をもっと長生きさせてあげたかったのに、してやれず、本当に申し訳ありません。
息吹のいない景色にはだいぶ慣れてはきたものの、やっぱりまだ、息吹の写真を目にすると、頭が真っ白になってしまいます。
いろんな意味で、息吹の存在はわたしにとって大きすぎました。
心配して、メールや電話、お手紙をくださった皆さん、黙って見守っていてくださった皆さん、そして息吹のために、連日賢明に力を尽くしてくださった獣医師の先生方、本当にありがとうございました。この場を借りて、改めて、感謝申し上げます。

(C)paradisacheval 4月1日のツーショット。

(C)paradisacheval 調子を崩す直前までずっと、夕方の飼い付け時刻が近づくとこうして玄関までお迎えに来て、待っていてくれた息吹。
息吹、お疲れさまね。
きっと生まれて初めて、「もう頑張りたくない」って言えたんだよね。
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お散歩息吹とお迎え息吹♪
アンヌの記事を書くつもりだったんですが、またまた仕事が立て込んでどうにもこうにも気力体力時間が足りないと思われるので(情けな~)、ずっとタイミングを逸していた「息吹のお散歩写真」を先に(^^ゞ
ツイッターには即日アップしたんですが(^^; 9月3日の写真です。
後から見ると…象を連れて歩いてるみたいな大きさ(笑)

(C)paradisacheval
大きくておとなしくてかわいいばん馬(*^_^*)馬初心者にはサラよりよほど安全だと思う(笑)

(C)paradisacheval
もう少し先まで行ってみる?

(C)paradisacheval
アンヌまた置いてきぼりだょ…

(C)paradisacheval
戻る途中~豆草がいい感じに茂ってきてます(^^*

(C)paradisacheval
アンヌにお土産の豆草…のはずがこの後息吹に食べられた(笑)

(C)paradisacheval
息吹はヨモギとタンポポと豆草ばかり食べてました( ´艸`)

(C)paradisacheval
最近、息吹は…、
夕の飼い付けの時間が近づくと、わざわざ「お迎え」にきてくれるようになりました(笑)
放牧地の出入り口は二重にロープがかけてあるんですが、その二重のロープをきちんと、丁寧~にくぐって(笑)、母屋の前までわたしを迎えに来ます:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
わたしが何かおいしいものを持って出るわけでもないのに、いなないて呼ぶだけでは足りず、待ちきれずに、ただ迎えに来るんです。。。
迎えに来て、そして待ってる…(^^;
で、一緒に厩舎に帰って、準備してご飯。
二重のロープをちゃんと潜り抜けられるのは息吹だけで、当然アンヌは放牧地に置き去り(^^;
しかも、ほかの時は絶対に潜り抜けて脱走したりはしないのに、夕方迎えに来るときだけ、くぐって抜け出すんです(笑)
「もうっ、早くぅ~」って感じ。。。
馬が、ただ迎えにくるだけ、って、最初すごくびっくりというか、えぇ~っ??(笑)という感じだったのだけど、考えてみれば、ヒトも、そしてニャンコもワンコも、早く来てほしいときに「ただ迎えに行く」って、フツーにやりますよね。
自分は、「馬はそんなことしない」ような気がしていたのか、なんですごく意外に感じたのか、それが今はなんかおかしい(^^ゞ
ヒトも猫も犬も馬も、なーんにも変わらないんだもん。
★コメント、メール、賛同者ご案内、お待たせすみません~;;;もう少しお待ちください★
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後から見ると…象を連れて歩いてるみたいな大きさ(笑)

(C)paradisacheval
大きくておとなしくてかわいいばん馬(*^_^*)馬初心者にはサラよりよほど安全だと思う(笑)

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もう少し先まで行ってみる?

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アンヌまた置いてきぼりだょ…

(C)paradisacheval
戻る途中~豆草がいい感じに茂ってきてます(^^*

(C)paradisacheval
アンヌにお土産の豆草…のはずがこの後息吹に食べられた(笑)

(C)paradisacheval
息吹はヨモギとタンポポと豆草ばかり食べてました( ´艸`)

(C)paradisacheval
最近、息吹は…、
夕の飼い付けの時間が近づくと、わざわざ「お迎え」にきてくれるようになりました(笑)
放牧地の出入り口は二重にロープがかけてあるんですが、その二重のロープをきちんと、丁寧~にくぐって(笑)、母屋の前までわたしを迎えに来ます:*:・( ̄∀ ̄)・:*:
わたしが何かおいしいものを持って出るわけでもないのに、いなないて呼ぶだけでは足りず、待ちきれずに、ただ迎えに来るんです。。。
迎えに来て、そして待ってる…(^^;
で、一緒に厩舎に帰って、準備してご飯。
二重のロープをちゃんと潜り抜けられるのは息吹だけで、当然アンヌは放牧地に置き去り(^^;
しかも、ほかの時は絶対に潜り抜けて脱走したりはしないのに、夕方迎えに来るときだけ、くぐって抜け出すんです(笑)
「もうっ、早くぅ~」って感じ。。。
馬が、ただ迎えにくるだけ、って、最初すごくびっくりというか、えぇ~っ??(笑)という感じだったのだけど、考えてみれば、ヒトも、そしてニャンコもワンコも、早く来てほしいときに「ただ迎えに行く」って、フツーにやりますよね。
自分は、「馬はそんなことしない」ような気がしていたのか、なんですごく意外に感じたのか、それが今はなんかおかしい(^^ゞ
ヒトも猫も犬も馬も、なーんにも変わらないんだもん。
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地上の楽園は馬の背にあり

(C)paradisacheval

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今日の出来事(*^_^*)
「遊ぼ」
って言われる少し前から、息吹の中に、それまでと違う「何か」が宿っていたことには、気づいていました。
なんというか、
プラスアルファをしたい
というような、小さな情熱の炎みたいなもの。。。
ちょうど、わたしたち夫婦の力ではなんともならない、150kgほどの荷物を、息吹に引いてもらったことがあったのですが、そのときあたりから、その小さな炎は、息吹の瞳の奥に、宿り始めていました。
「頼まれて応える」でもなく、
「求められて応じる」のでもなく、
まして、
「仕事だから」でもなく、
なにか、いちばん喜んでもらえることを、したい
そんなような思いだったのだと思います。
わたしはというと、
「遊ぼ」
と息吹に言われたときに、長らく眠っていた、ひとつの願望が沸きました。
息吹に乗りたい
というか、
息吹の体温を感じ、一緒に同じ風を感じ、息吹と一つになりたい。
そんな気持ち。
「馬に乗りたい」という願望は、「わたしが乗馬をやめた理由」にも書いたように、とうの昔に消え去っていて、他所に乗りに行くこともなければ、北海道に移住してきてからも、誰に乗りたいともとくに思わなかった。
でも、このときは、
息吹に乗れたらな…
確かにそう思った。
ばんえい競馬を引退して12年。
現役だったのはたったの1年。
その間に、パドックでまたがられたことはあるとしても、
その後12年にわたる繁殖生活で、まともに人を乗せたことなどまずなかったはず。
覚えてるかな?人を乗せるってどういうことか。
何度か夫と話したけど、話したって分からないよね(笑)
でも最後は、
馴致?
調教?
いいや、そんなの。どうでも。
乗せてあげる、って息吹が思ってくれさえすれば、たとえ「人を乗せる」ってことがどんなことだったかを忘れていたとしても、乗せてくれるはずだ。
そう思った。
果たして。
「地上の楽園は馬の背にあり」
コーランにあるこの言葉は、「どんな馬でもとにかく馬上は楽園」と言ったのではないと思う。
息吹は馬だけど、息吹の背にまたがるのは、乗馬とはぜんぜん違う。
今日はっきりとそう感じた。
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