馬上の楽園
地上の楽園は馬の背にあり。-コーラン

»馬たちのリアルタイム写真 配信中«

DATE: --/--/--(--)   CATEGORY: スポンサー広告
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
page top
DATE: 2009/04/28(火)   CATEGORY: ひとりごと
腹立つ
「馬を助けたい」
と言うと、
「牛だって豚だって殺されてるじゃないか、馬だけ特別扱いするな」
と皮肉めいた文句をたれる人間。

「犬を助けたい、猫を助けたい」
と言うと、
「そもそも動物を“飼う”ことが間違いだ、だから助けたいというのもエゴだ」
「ペットを助ける前にアフリカの子供を助けろ」
とか茶々を入れる人間。

ああそのとおり、
競走馬の殺処分だけじゃない、犬猫の殺処分だけじゃない、
牛も豚も鶏も、アフリカの人口爆発も、どこもかしこも間違ってる。
人間社会全体が間違ってる。

だけどそれらを全部いっぺんに同時に完全に解決する術も
それができる力を持った人間もいない限り、
間違ってる全部のうちのほんの一部かもしれないが、
自分にできるところ、
アイデアのあるところ、
力のあるところで変えていくしかない。

何ももしない人間に限って「議論」好きだよね
議論や皮肉や揚げ足取りで、
自分が何もしないことの言い訳をしている。

食肉や競馬やペットの議論を「解決」するまで待っていたら、
永遠に何も変わらない。

馬を「特別扱いする」んじゃなくて、
馬から始めるんだ、できる人間が
犬猫から始めるんだ、できる人が

手を付けられるところからとにかく手を付けないと
たった一つの命さえ救われない

うちは50匹ちかい犬猫と一頭の馬、
ほうっといたら死んでしまう命をギリギリ限界まで抱え込んで
大人二人の三度の食事は白米に胡麻塩を振りかける毎日

この状態がいいとは言わない、
皆がこうすればいいとも思わない、
もっといい方法があるかもしれない、でもね、
「じゃぁ牛は?豚は?」と並べ立てる奴らにはだからこそ腹が立つ

スポンサーサイト
page top
DATE: 2009/04/26(日)   CATEGORY: 乗馬
わたしが乗馬をやめた理由 vol.1
生まれて初めて馬に乗ったのが、今から10年ほど前のこと。
馬に乗る、乗馬を習うのなら「乗馬クラブ」だろうと単純に考えて、
近場で探して見つけたのが乗馬クラブ業界の最大手。

最初はとにかく「うまくなりたい」の一心で、
それこそ夢中で毎週末をクラブで過ごした。

けれど半年もたたないうち、馬たちの「不信」「不満」をヒシヒシと感じるようになった。

「アナタもそうやって僕たちのことを痛めつけるんだね…」

馬にまたがるたび、どの馬もそう言った。
馬たちは暴れるわけでも、怒るわけでもないのだけれど、
なんというか、馬たちの全身のオーラがそう言っているのだった。

「そんなつもりじゃないの、ゴメンね、ヘタなのは頑張ってうまくなるから、
だからお願い、背中を貸して」

そう答えはしたが、でも馬たちが言っていたのはそういうことじゃないんだ、
というのがほどなく分かってきた。


わたしは馬と心を通じ合わせるために乗馬がしたかったのだけれど、
少なくとも乗馬クラブで教える「乗馬」は人間のためのものだった。

そのクラブは最大手というだけあって、全国にチェーン展開し、
当然馬の数も最も多く、そしてクラブ会員の数は馬の何倍も多かった。
他の乗馬クラブにくらべて格安な価格設定なので、
馬の何倍もの会員が毎週何度も馬に乗りにやってくる。

そうすると、馬一頭当たりが乗せる会員の数は、
平日は1日3~4人程度、休日になると混み合うので倍以上の1日7~8人、
ひどいときは10人近く乗せさせられる馬もいた。
1回のレッスンが約45分なので、時間に直すと休日は一日7~10時間近く
稼動させられていたことになる。
レッスンとレッスンの間の十数分も、会員から会員へのバトンタッチと
鞍(くら)や頭絡(とうらく・手綱がついている、馬のヘッドセットみたいなもの)
を着ける(「馬装・ばそう」をする、と言います)時間などに使われて、
馬は休むことができなかった。
食事をとる時間もゆるされなかった馬も多かった。

いくら馬が大きな動物だからといって、これでは虐待と言われてもおかしくない。
それほどひどい稼働率だったため、そして教える側と教わる側の力量不足で
馬の扱いもとてもよいとは言えなかったので、
過労とストレスで攻撃的になったり神経質になったりする馬はザラ、
ひどい場合には人を噛んで大怪我をさせたり、
背中から振り落とすことを覚えてしまった馬さえいた。

馬と仲良くなりたい、心を通じ合わせたいと思って始めたのに、
ここにいてはそれが適わない。それどころか、
馬たちから見れば自分も、そういうクラブの一員として
馬へのひどい扱いを助長していることになる。

ついにはこれが耐えられなくなって、入会して1年ちょっとで
「休会届け」を提出した。

思い切って「退会」できなかったのは、
このクラブをやめたところで、いったいどこで乗馬を習ったらいいのか?
が分からなかったからだった。

なのでとりあえず「休会」をし、
その間に他に「馬にやさしい」乗馬クラブを探そうと決めた。


 * * *


わたしがその時考えたのは、
「大きなクラブで会員の数が多いからいけないんだ。
少々不便でも、小さなアットホームなクラブで、
会員の数と馬の数のバランスがとれていれば、
馬も大事にできるはず」
ということだった。

それでネットなどであちこち調べて、
近県の田舎のほうの「馬と人に優しい」をモットーにしている
小さな乗馬クラブを見つけた。

そこはできてまだ間もないクラブで馬も人ものんびり、
レッスンも少人数で馬を大切にしています、とのことだった。

体験レッスンはないけれど、見学はOKとのことで、
とある日曜に出かけることに。


最寄駅まで車で迎えに来てもらって、
クラブまでは40分くらいかかっただろうか、
聞いてはいたけどかなーり田舎だった(=_=;

確かに人も、全体的な雰囲気ものんびりしてて、
会員も指導員もわけへだてなくアットホームで、
皆でお菓子を持ちよったり、DIYでクラブの建て増し?リフォーム?
などもしていた。

でもそれだけじゃだめだ。問題は、馬。

一見、馬は大事にされていた。
一日あたりの稼働率は、週末でも一頭あたり3~4鞍()。

※鞍(数)
乗馬用語で、レッスン数の単位をなぜか「鞍」で数えます。たとえば1レッスンは「1鞍(ひとくら)」、2レッスンは「2鞍(ふたくら)」と数えます。乗馬歴も、年数で言う場合もあれば、この「鞍数(くらすう)」で表現することもあります。
例…「乗馬歴は何鞍くらいですか?」「だいたい500鞍です。」


肉体的、体力的には、馬は元気だった。
そして、だからよけいに気になった。
馬たちが皆、沈んだ表情をしていたことが…。

乗馬クラブを見学するときは、わたしはまず馬たちの表情を見る。
ちょっとくらい疲れていても、基本的に馬自身がハッピーなら、
「このくらい、明日になれば吹っ飛んでるよっ!」という顔をしている。

でも、ここのクラブは、体は元気で手入れされてキレイだったが、
馬たちの表情は一様に沈んでいた。

見学中、洗い場(あらいば・馬を手入れしたり洗ったり馬装したりする場所)から
女の人の悲鳴が聞こえた。
会員さんが馬に噛まれたというのだった。
噛まれたのは指だったが、結構ひどかったらしく、救急車で運ばれた…。


だめだ、やっぱり…。


一日見学したくらいで早急かもしれないと思いながらも、
確信に近かった。


 * * *


帰り道、車で送ってもらっている途中、運転していたチーフ(クラブ長の次の立場で、
乗馬歴はクラブ長の倍くらいあった筋金入りの人だった)といろいろ話した。
自分がなぜ、最初のクラブをやめようとしていて、自分は馬と何がしたくて、
そしてどんなクラブを探しているのか…と。
しばらく話を聞いていたそのチーフは、ちょっとイライラしたようにこう言った。

「君は、乗馬がうまくなりたいの?それとも馬を助けたいの?」



乗馬がうまくなるのと、馬を助ける(馬を幸せにする)のとは、反比例するんだ…???

頭をガーンと殴られたような衝撃を受けた。

「ハッキリいって、乗馬は馬の犠牲あってのスポーツだ。
馬がかわいそうなどといっていたら上達はできない。
君が理想と思えるような乗馬クラブは、どこを探したってないよ。」

そうダメ押しされた。

その人は決して悪意で言ったのではないのは分かっていたけど、
クラブの馬たちが沈んだ表情をしていたのも、その時納得できた。

「馬がかわいそうなどといっていたら上達はできない。」

そんな気持ちで割り切って乗っている人は実はけっこう多いのだけど、
そうやって乗られる馬は、どれだけのんびり休憩できても、
どんなにたくさんのニンジンをもらったとしても、幸せではないだろう。

馬には我慢してもらうしかない、乗馬をする以上、馬の犠牲はやむをえない、
それは一面では真実かもしれない。
でも、たとえば親にとって、愛する我が子を背負って歩くのは、犠牲だろうか?
日々大きくなる我が子の重みを背中に感じてのんびり散歩をするのは、
子供を愛しているなら親にとっては幸せであり、報われるひと時ではないだろうか?

同じことが馬にもいえる。
馬と乗り手が本当の意味で心を通わせ、友として愛しあうことができる時、
馬は友への贈り物、またその愛への報いとして背に乗せて運んでくれる。

どんなにもっともらしい理由を付けても、
「うまくなりたければ馬には我慢してもらうのは仕方がない」
と割り切りるのは、愛をあきらめ妥協することだ。そして、
わたしの側のどんなにわずかな妥協も、馬に対しては裏切りにほかならない。


「また連絡ください」

と言われたが、それきり連絡をすることはなかった。

(vol.2へつづく)
page top
DATE: 2009/04/23(木)   CATEGORY: 競馬
競走馬を救え!プロジェクト
先日書いた、殺される運命の競走馬を救うプロジェクト
10年模索し続けてきて、最近得たひらめきなども加わり、
夫にも話して二人で盛り上がったりして、
そうしてやっと頭の中でカタチができあがってきた一大計画、
でもふと我に帰ると、どう考えても誇大妄想、ファンタジーの類にしか思えず、
「何バカ言ってるの…」とさじを投げようとするもう一人の臆病な自分もいたりして、
その計画の中身までは書けませんでした。

で、ぜんぜん脈絡無視というか関係ないのですが、
今日はわたしの誕生日だったりしたのですが、そうしたら、

「まー ひとつ年取った記念に戯言を記録に残してみるか!」

みたいなヘンな勇気が湧いてきまして(恐ろしく意味不明)、
このヘンな勇気の勢いが掻き消えてしまわないうちに
ざーっと書いてみようかなーと思います。





そもそも…、

競走馬が使い捨てよろしく殺されてしまうのは、
毎年8,000頭生まれてくる馬たちの行き場が、日本国内にもともとないから。
北海道などの「生産牧場」から競走馬になるべく旅立つ子馬たちは皆
「片道切符」なのです。

よく、「競走馬は引退すると乗馬クラブにいく」と思われていますが、
確かにそういう子達もわずかにいるのですが、
乗馬クラブとて馬の数の「定員」がありますから、
クラブが引退競走馬を引き取るにはまず原則として、
「クラブの馬の定員に空きが出た」=クラブにいた馬が亡くなる
(またはいろいろな事情で殺される)ことがあったときのみ、です。

乗馬クラブの数が増えることで引退競走馬の行き先がわずかであっても増える、
ということはあるにはあるでしょうが、それでもやはりそれは「小さな窓口」でしかありません。

なのでわたしが最初に考えた解決法は、

引退競走馬に基礎調教()をおこなったうえで、
海外へ乗用馬として輸出?する。
輸出、というか、輸送費などの実費を持ってもらう代わりに、
馬の値段はギリギリまで下げて(普通は調教費とか入るのですが入れないで)
引き取ってもらう、ということですね。
もちろん、海外は海外で馬の殺処分など問題になっている国も多いので、
おいそれとはいかないかもしれませんが、
日本国内で「個人で引き取ってくれる人」を探すだけよりは、
間口は広がるかと。。。


※基礎調教
ふつう、競走馬は、極端なことをいえば「レースを速く走る」ことだけを教えられているので、人が馬を引いて歩くときの(馬の)マナーはおろか、落ち着いてまっすぐ歩く、ということや、落ち着いてゆったり速歩(はやあし)をする、ゆっくり走る、スムーズに止まるという【基本的なこと】ができない子が多く、引退した状態でいきなり「乗る」のはアブナイのです…。
それで、基礎調教といって、人が普通に乗れるようにするために、そういう【基本的な事柄】を馬に教えることが必要になります。



この、「乗用馬として海外へ譲渡計画」は、数年前に思いついていたのですが、
ただ、それだけではやはり、乗馬クラブへ譲渡するほうが
手っ取り早いと言われるだろうし、
行き先が海外だと、手続きやらなにやら非常に手間がかかる…。

なので、もっと近場で、もっと多くの数を、そしてただ「引き取る」のではなくて
馬たちの第二の余生としてそれなりの「活躍の場」を与えられる、
と同時に「地域や社会にメリットになる=長続きする」計画を考えなくては…
ということになり、その後どん詰まりに。。。



で、少し前になって、どういう経緯だったかきっかけだったかも忘れましたが
とある流れで海外の「騎馬警官」の話題や動画を見聞きすることが多くなり、
YouTubeで現役の警官たちのインタビューを見たりしてるうち、
思いついた!のが、、、

「日本国内に“騎馬パトロール隊”を誕生させたらどうか?」

でした。

役人は手続きやら規則やら手間やら経費やらでお尻が重いので、
今から警察を説得して回ったりは非現実的だし、
そもそも役人の「動物の扱い」は信用していないので、
騎馬警官隊ではなく、騎馬パトロール隊。
パトロール隊ならボランティアでもできる。

ちなみに、馬は道路交通法上「軽車両」扱い。リアカーなんかと同じですね。
なので馬に乗って一般道路を歩くのは基本的にOKです。
ただやはり犬とは違うので、パトロールを実現するには
人も馬も十分な訓練をしたうえで、しかるべきところに話も通して、
理解をしてもらってから、ですが。

騎馬パトロールが人の集団や白バイやパトカーのパトロールと違う点、
これは海外の騎馬警官のインタビューなど見てなるほどと思ったことですが、
まず、人の注目を引く=存在を強くアピールできる。
パトロールには大事な要素ですよね。

そして、それでいて、馬という優しい目をした大きな動物が、
アメリカの騎馬警官の言葉を借りれば「icebreaker(砕氷船)」になる、
つまり、たとえば警官(やパトロールをする人)と市民、
あるいは市民同士の間の無関心とか不干渉という
固く冷たい“氷”を砕いて取り除いてくれる、
そういう役割をしてくれるんだそうです。

パトカーに乗っていると人は逃げていくけど、馬に乗っていると
十代の子供や大人が親しげに警官に近づいてきて、言葉をかけてくる。
それが、地域と警官(パトロール隊)の間のコミュニケーションにつながり、
非行や犯罪を未然に防いだり、家庭内の問題を一人で抱え込まずにすむ、
そういう結果につながってきているんだそうです。

これって、日本の都市部などでもすごくプラスになると思うし、
反対に過疎が進んでいるような地方であれば、
地域を明るくしたり、村おこし?とかにもつながるかもしれない。

実際的な面では、馬に乗れば視界が高く広がるので
遠くまで目を光らせることができる点や、
人より速く、長い距離を移動でき、かつ、
車やバイクが入っていけないような場所も馬は入っていけるので、
地域の隅々までパトロールができるんだそうです。

まぁ、そこまで細かく考えなくても、
馬に乗ったパトロールの人が一日何度か近所を闊歩するってだけで、
話題になるし地域の交流も広がるのは確実ですよね(*^-^*)


で、もしこの「騎馬パトロール隊」を日本で少しずつでも展開していければ、
最初は数頭でも、最終的には…えーと、
日本の自治体の総数が今1800弱なので、1自治体に平均20頭として
(もちろん浸透しない自治体とか地域とかはあるでしょうけど、
反対に都心部で導入されれば1つの区でも20頭じゃ足りないこともあるだろうし)
全部で4万頭!!の馬の受け入れ先ができることになる!!!



そして、騎馬パトロールと平行して、
たとえばちょっと田舎の地域などであれば、
昔の日本では当たり前だった「馬のいる生活」をバックアップしていく。
農耕馬としてだけでなく、移動用としても、
もっと日常の生活の中に馬の居場所を【取り戻す】ことができれば。。

馬は当然、排気ガスを出さないから環境にもいいし、
道端の草があれば燃料に困ることもないし(原油高騰もなんのその)、
そしてなにより、人に優しい。

現代に必要なのは、最新のテクノロジーを追求することではなくて、
人がずっと昔に無くしたり忘れたりしてきたものを
取り戻すことなんじゃないかと思う。



…なんだか話がまとまらなくなってきましたが…



そんなこんなで、


日本に騎馬パトロール隊をつくろう!

そして

今こそ“馬力”を見直そう!


を呼びかけにして、
引退競走馬が生きる道を開いてあげたい。
そう思ったのでした。。。

まずは自分が引き取った馬を筆頭に、
今度こそ後々に続く一つの流れを作りたい。
馬の調教やトレーニングは自分ひとりでも構わないけど、
でもそれ以外の部分では、到底わたしひとりの力では何一つ動かせない。

馬は遠方の牧場に預けている状況だし、
お金はないし、
交渉は苦手だし、
人前に出るとか人の上に立つとか、
考えただけでも足がすくむ…。

だからやっぱり妄想で終わるのかも。
あぁなんだかよく分からなくなってきた(=_=;

page top
Copyright © 馬上の楽園. all rights reserved. ページの先頭へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。