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馬上の楽園
地上の楽園は馬の背にあり。-コーラン

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DATE: 2009/05/31(日)   CATEGORY: おすすめ
バランスボール
室内で怪しげな光を放つこの球体は何かと言うと…

20090531150111

myバランスボールです。


乗馬 うまくなるには」にも書いた、メアリー・ワンレスの"For the Good of the Rider"を読んでバランスボールの存在を知ったのは8年くらい前。当時はスポーツ専門店でもないと売ってなかったけど、今はLOFTとかでも普通に扱ってて、しかも安価。時代の流れを感じるなあ…。

ちなみに写真のmyバランスボールはLOFTで2000円くらいでした。確かこれで5代目。

昨年妊娠が発覚してからは乗ってなくて(馬には妊娠4ヶ月まで乗ってたけど・笑)、今日久しぶりに復活!……しようとしたら、購入時に付いてたポンプ式空気入れが失踪…仕方ないので口で膨らます。それだけでかなり腹筋使いましたよ…(ΘoΘ;)


乗ってみて意外な発見だったのが、妊娠出産前に比べて体の左右のバランスがかなり改善されている=体の歪みがずいぶん治っていた、ということ。

出産時は骨盤が一度左右に外れて再度結合するから、女性の体(骨盤)の歪みは出産で改善されやすい、と以前カイロの先生に聞いたことがあるけど、どうもそのおかげらしい。怪我の功名みたいなものかな?(笑)

というわけで、さっそくボールに揺られながら書いてみました。
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DATE: 2009/05/29(金)   CATEGORY: Horse-Man-ship
「あなたは間違っている」と言うことの責任
わたしはいろいろな記事で、「こういう調教は間違っている」「こういう方法は正しくない」と書いています。

「間違っている」ことを「間違っている」と言うのは、ある意味簡単です。間違ったやり方をしている人に対して、「あなたは間違っている」と言うのも、度胸さえあれば誰にでもできます。でも、「間違っている」と言うことにどれだけの「責任」がかかっているかを考えると、実はそう簡単に言えるものではなかったりします。

たとえばわたしが書いた記事を読んで、「折り返しを付けて無理やり馬の頭を下げるのは間違ったやり方だ」と知った人が、そういうやり方をしている個人やクラブに「あなたのしていることは間違いだ」と言うのは、それだけではただの自己満足で、何のプラスにもならないことのほうが多いでしょう。

「間違っている」と言われた相手は、まず感情的におもしろくないし、仮に本当に間違っているとして、納得のいく説明なり改善方法なりが提供されなければ、崖から突き落とされて知らんぷりされているのと同じくらいひどい扱いを受けていることになります。

そうすべき正当な理由があって人に「あなたは間違っている」と言う場合でも、そうする以上は、「どこがどのように、なぜ間違っているのか」を具体的に、かつ論理的に伝え、その「間違い」に替わる「正しいもの」を提供することが、「間違っている」と言う人間の最低限の責任だと思います。それができなければ、結局は「ただ悪く言って終わり」になってしまい、気まずい思いや不愉快な思いが残るだけで、そこには進歩も改善も向上も、ポジティブなものは何もありません。

「あなたは間違っている」と言う相手が、指導者やクラブ責任者レベルになれば、事はもっと重大になりかねません。たとえば相手に「あなたのやり方はおかしい」「このクラブは間違っている」と言うことで、もしも相手がひどく落ち込むなり、腹を立てるなりして、クラブの運営や指導すること自体がイヤになってしまったら、その人が持っている乗馬クラブや馬たちが放り出されてしまう可能性だって出てくるわけです。

万が一そうなった場合に乗馬クラブも馬たちもすべて代わりに面倒を見てやれる、そこまでの責任が持てないのであれば、個人に対して安易に「あなたのやり方は間違いだ」と言うのは賢明ではないと、わたしは思います。

馬の扱いはいつも危険と隣り合わせ」の記事の中で、以前外乗に行った先での出来事を書きましたが、あのとき、先導さんに「そのやり方は間違いです、こうしてください」と言うのに慎重になったのも、そのためです。もしそこで先導さんが「プライドを傷つけられた」と感じたり、あるいは逆切れしたり意固地になったりしてもっと馬にひどく当たるようなことになれば、大事故になったかもしれない。馬の扱いに注意が必要なら、馬を扱っている人間に対しても、同じかそれ以上の慎重さや注意深さが必要だといえます。

わたしは今でこそ、ドイツ馬術の調教や指導のどこがどう間違っていて、その一つ一つが馬体のどこのどの筋肉や神経に影響を与え、その結果馬の体や精神や心にどのような負担がかかるのか、そしてそれに替わる正しいやり方や調教はどのようなもので、それは馬の心身をどのように癒し向上させ改善するのかを具体的に説明できますが、それでも、上の記事の話のように「そうしないと危険」な状況か、あるいは相手に求められでもしない限りは、だれか個人に対して「あなたのやり方は間違いです」と言うことは、まずしません。

乗馬クラブという体制も、競馬と同じように「いったん走り出したものを安易に止めようとすれば馬が犠牲になる」世界です。○○乗馬クラブ(あるいはそこの指導員)は間違った調教をしています!と批判して、お客さんが激減して、もしもクラブの経営が立ち行かなくなったら、人間は別の場所を探せますが馬たちは出されて殺される可能性が大なのです。

それよりは、「正しいやり方や調教や指導を実践して、理想的な馬や乗り手を育てる」ことのほうが断然説得力があるし、正しい知識や認識を広めて一人一人の意識を高めるほうが、馬たちにとってもプラスになるはずです。

もちろん、正しい知識を知る上では、反対の間違った知識も知る必要があるわけで、だからこそわたしはいろいろ書いているわけなんですが、だからといって、安易に個人や特定のクラブを責めたりその間違いを指摘することは、非常に注意が必要なこと、安易にしてしまえば思わぬところで馬たちを苦しめたり、事故や危険を誘発してしまう可能性もあるということを知っておくべきだと思います。


わたしは長年、捨て犬や捨て猫の問題とかかわってきました。
そして、正義感や動物たちを助けたい一心で、間違っているものを「間違っています」と言ったことが原因で、結果的に当の犬や猫が処分されてしまった経験をしています。犬や猫や馬を助けたいという高潔な動機であったとしても、そこに「人間」が関わっているときは、動物たちを一対一で扱う場合の何倍もの注意深さ、巧みさ、賢明な判断が必要になることを、わたしは取り返しのつかない形で思い知らされました。

動物たちと関わる人は、安易に間違いを正そうとすることが最悪の結果を招く場合もあることを、知っていて欲しいと思います。

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DATE: 2009/05/27(水)   CATEGORY: 乗馬
わたしが乗馬をやめた理由 vol.2


乗馬がうまくなりたいのか、それとも馬を助けたいのか、なんて、どちらかなんて選べるものか。わたしは両方目指すんだ、そう心を決めて、乗馬クラブ探しは続いた。関東近郊のあちこちのクラブで、ビジターや教室で騎乗し、先生たちの話を聞き、馬たちを観察した。

そしてこの頃までには、「競走馬は引退するとほとんどが殺される。乗馬クラブに引き取られるのはごくわずか」という事実を知るようになっていた。

乗馬クラブで酷使され、痛めつけられている馬だけじゃない、競馬でお払い箱になった馬たちも助けなくちゃ!そう思っていたわたしは、訪れたクラブで引退競走馬についてどう考えているかも、機会があれば聞くようになっていた。本当に馬を大切に思う人なら、引退競走馬についても何かしら考えているはず、と思ったからだった。

でも、乗馬クラブというものは、「レベル」や「規模」が上がるほど、引退競走馬という「おさがり」「中古品」などではなく、乗馬用に純粋にブリーディングされた、多くは外国の「高くていい馬」が好きなようだった。馬術の世界ではそれなりに有名な、馬場専門の某クラブなどでは、「引退競走馬?問題外だよ!口向きも悪いし本格的な馬術には使えたもんじゃないね」と切って捨てられた。「タダ同然だからお金がないクラブの使い捨て用」と言われたり、「競馬の世界の問題を乗馬に持ち込むな」とたしなめられたこともあった。

そんなこんなで乗馬界の人間たちに不信感を募らせていたころ、どういうきっかけだったかは忘れたが、小田舎の小さなクラブで活動している一人の指導者の存在を知った。

その人は、それなりにお年だったが上級指導者の資格を持ち、若い頃は国体にも出ていたという、筋金入りの馬乗りだった。が、わたしが何より惹かれたのは、その人が他クラブでボロボロになった引退競走馬を引き取り、再調教し、悪いところがあれば自腹を切ってでも治療し、致命傷でもないかぎり、たとえ人を乗せられなくなったとしても決して馬を「出す=処分するため業者に引き取ってもらう」ことをしないことだった。

実際その人は、かつて自分が働いていた乗馬クラブがすぐに馬を出したり、馬を酷使して長時間働かせたりしていることに反対し、結果的にはクラブ長と喧嘩別れとなり、出される運命の馬を自分で引き取り、その人柄に惹かれた会員が一緒にクラブをやめてついてきた、という経歴があった。だから乗馬界にはその人を良く思わない人もいたようだが、わたしは乗馬界にもそんな人がいたのだということがとにかく嬉しくて、引退競走馬を引き取ることについても学べることが多くあるだろうと思って、彼の下で学ぶことに決めた。


先生は、生徒を馬に乗せるとき、わたしがそれまで見たことがない調教器具を使っていた。折り返しでもマルタンでもサイドレーンでもない。それはシャンボンという器具だった。先生は、折り返しは人間が引けば引くほど馬をがんじがらめにして体を痛めるが、シャンボンは直接乗り手が操作することが出来ないから、乗り手も馬も煩わされずにすむ、と言った。わたしが「なぜシャンボンを使うのですか」と尋ねると、「乗り手がヘタだとどうしても座りが悪く、馬はそれで背中が痛くて首を上げる。でも首を上げるとますます背中を痛めてしまうから、そうしないように馬の頭を下げてやるんだ」と言った。

馬の運動学や解剖学についてはわたしはまだその頃はほとんど何も勉強していなかったから、シャンボンと馬の頭と背中の関係や相互の詳しい作用については確かなことは分からなかったが、先生がちゃんとした理由、それも馬の痛みを軽減するという理由でシャンボンを使っているのだと分かり、当面はそれについては疑問を持たなかった。

そうしてそのクラブでのレッスンが始まった。

先生は、乗り手の騎座がしっかりするまでは、駈歩を許さなかった。騎座の訓練のために、ひたすら速歩で輪乗りを乗り続ける日が続いた。広い馬場で単独で(つまり部班ではなく)正確な輪乗りを連続して描き続けるのはとてつもなく難しかった。すぐに馬が膨らんだり内に刺さったりした。そのたびに先生の怒号が飛んでくる…。

輪乗りというのは正確に乗ろうとすればするほどよい訓練になるのだと先生は言った。先生の言うことの裏にはいつも、それぞれ「理由」があった。この人は感覚だけでなく理論的にも正しく教えているのだと思った。そしてなにより、先生は馬を大切にしていた。馬が少しでも不調を訴えたり、疲れを見せれば、たとえ生徒の指名や予約が入っていても、「今日はこの馬は休ませます」と言った。代わりの馬がいなければ、当然生徒はレッスンを受けられなくなった。それでも先生のその方針は変わらず、そして先生の下で習っている生徒は皆それを快く受け入れていた。皆先生のそういうところを慕っていたのだった。

先生は毎朝5時から、馬たち一頭一頭全てに乗って調子を確かめ、レッスン時は必ず全ての馬の下乗り(生徒を乗せる前に先生が馬の調子を整えるために乗ること)をし、馬の肢の温度を手で確かめ、疲れが出ていないか確認した。蹄葉炎にかかってひづめがボロボロになり、獣医までが見捨てた馬を、自腹で高い漢方薬を買ってきて「死なせるものか」と必死に看病し、見事回復させたこともあった。

先生にこんなに大事にされていて、ここの馬たちは幸せだと思った。それに、先生は引退競走馬をグランプリホースにまで調教した実績まで持っていた。「引退競走馬なんて馬術では使いものにならん」と言い放った指導者たちに言って聞かせてやりたかった。

   *   *   *

けれど次第に、わたしは違和感を感じ始めた。

馬たちは大事にされていた。どの子も肉付きがよく、よく食べよく休んだ。
それでも、馬たちに乗ってレッスンを受ける段になると、問題があった。いつも、かなりの力で手綱を持たなくてはいけなかったのだ。先生が言う通りに乗り、指示どおりに動けば動くほど、手綱は重くなった。乗った後はいつも上腕が筋肉痛だったし、手のひらはマメだらけになった。

初めのうちは、それはわたしがへたくそなせいだからだ、と思った。それに馬は大きな動物だし、そんな馬が「ハミを受ける」となると、そうなるのが当然だとも思えた。先生も、わたしの乗る姿を見て、「そう、それでいい」と言った。でも問題は、手綱が重たいことだけでは終わらず、それこそ馬に引きずり回されるかのようになって、馬を抑えられなくなることもしばしばだった。つまり、止まらない、スピードコントロールができない、という状態に陥った。

先生に「止めなさい!」と怒鳴られても、止められない。手綱はどんどん重くなる。もう腕がちぎれそうだ。俗に言う、馬がハミに「かかった」状態になった。元競走馬が「かかる」と、それはそれは恐ろしい状態になる…。

レッスンが進めば進むほど、ハミ受けや収縮やimpulsionを意識しコントロールしようと思うようになればなるほど、この問題は悪化していった。馬に乗るのはこんなに力がいるのだろうかと疑問に思い始めた。それに、わたしが筋肉痛になるほどの強さでハミを引いている馬だって、それで本当に「ハミを受けて楽に動いている」のかどうかも疑わざるを得なかった。

これは、ただ先生の指導を聞いて乗るだけではだめだ、自分でもっと勉強しないと。そう思ってわたしは乗馬や馬についての文献を探し始めた。

ところがそこにまで問題が待っていた。

日本には、ほとんど、「馬や馬術に関する文献」が存在しなかったのだ。馬術後進国だから当たり前と言えば当たり前なのだが、よい文献がほとんどない状態で、日本の多くの指導者や生徒たちはいったい何をどこから学んで乗っているのだろう??とびっくりした。指導者を盲目に信じてきた自分が愚かに思えた。

幸い、英語畑でずっと仕事をしてきていたので、海外から馬術本や馬についての文献をわんさか取り寄せ、通勤中も、休憩時間も、休みの日も、むさぼるように読みまくった。クラブでのレッスンはそれまでの半分以下の頻度に減らし、とにかくまずは馬術や調教の裏にあるもの、理論、ベースをしっかり学ばなくてはと思った。


(vol.3へ続く)
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